松旭斎たけし改めマジカルたけし
中学生の頃から兄(故・二代目桂枝雀)との漫才コンビで素人ながら名を知られるようになる。阪急電鉄勤務を経て松旭斎滉洋に入門、松旭斎たけしの名で1971年から吉本所属。「たけし」は本名の前田武司からとったもの。
兄の勧めもあり、奇術を織り交ぜながら落語を演じる「マジカル落語」を始めたところ好評を得て、マジカルたけしに改名し本格的に取り組む。旧花月劇場に定期的に出演していたが、体調を崩し1991年死去。
私が花月通いをしていた時分はマジカル落語ではなく普通のステージマジックをされており、花月劇場ではマジカル落語を見ることが出来ませんでした。私が唯一この人のマジカル落語を見たのは読売テレビお笑いネットワークで、手品のネタ販売員と客との会話という設定でカードや小道具を使ったマジックを演じるというものでしたが、この他にも「子ほめ」などの古典ネタをベースにしたものもいくつか存在したそうです。
ステージマジックをする時のめくりは赤文字が奇術でしたが、マジカル落語の時はやはりマジカル落語だったのでしょうか。
この人のステージマジックは、人体切断とか空中浮揚とか瞬間移動などという大ネタはなく、あくまで手練の技術を見せるスライハンドマジックが主体でした。花とか小道具を出したり消したり、細かく破った新聞紙が元通りになったり、シルクハンカチの色を一瞬にして変えたり、そういうネタを淡々とやっていくという感じでした。
たいていはひとりで出ていましたが、たまに奥様と思われる女性が後見を務めている時もありました。その時は、後見の首に輪っかを嵌め、その後ろから長い剣のようなものを刺すという、たけし師にしては大ネタの部類に入るであろうマジックを最後にやっていたのを覚えています。
バックに流れる音楽はT-SQUAREの「Love is in my sight」「Overhead kick」「宝島」などをつないだもので、マジックの内容に比べるとなかなかセンスの良いものでした。
複数の資料によると、たけし師には酒癖が悪い一面があったそうで、酔って舞台に上がって失敗するというようなこともあったようです。亡くなったのも過度の飲酒による疾患が原因だとする見方もあります。
亡くなったとき、新聞等で枝雀の弟、死去みたいな書き方をされていたのを覚えています。こんな書き方をするから、弟の死を悼む枝雀師の精神状態に余計な悪影響が及んでしまったのではないかと思えてなりません。
【2012/6/9コメント】
平成1~2年頃、旧うめだ花月閉館間際に撮影したものです。ちょうどシルクハンカチのネタをやっているところでしょうか。基本的に小ネタばかりなので舞台上には道具の類はほとんど何もありません(笑) 芸風は堀ジョージ師と似た感じです。
名前 |
松旭斎たけし |
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かな |
しょうきょくさい・たけし |
英語名 |
Shokyokusai Takeshi |
職業 |
芸人/落語家 |
性別 |
男性 |
生年月日 |
1944年2月20日(うお座) |
没年月日 |
1991年3月19日(享年47歳) |
改名 |
松旭斎たけし → マジカルたけし |
マジカルたけし(本名:前田 武司、1944年2月20日 - 1991年3月19日)は、日本の奇術師。落語家の二代目桂枝雀の実弟。
兵庫県神戸市出身。父が早世したため、中学生時代から兄とセミプロの漫才コンビを組んで各地のコンテスト荒しを重ね、生活の糧とする。特に『漫才教室』(ABCラジオ)の卒業試験では会場を大入り満員にするなど、伊丹の前田兄弟は素人ながらプロから注目され、固定ファンが居るほどの人気を誇った。
中学卒業後、阪急電鉄で勤務する傍ら大阪府立北野高等学校(定時制)に進学。同高卒業後、兄に続いてプロ転向を決意し、1963年にシガレットマジックの名手、松旭斎滉洋に入門。松旭斎たけしを名乗る。1965年6月に千日劇場で師匠の後見で初舞台。10年間内弟子修行の末、1971年に独立。吉本興業に所属しうめだ花月などに出演した。なお、シガレットマジックは、単純にたばこを飲み込むだけで、身体への負担が大きく、松本人志が放送室で語った所によれば、ダウンタウンがデビュー直後、京都花月に出演している際に、楽屋で何度も嘔吐していたという。
「子ほめ」などの上方落語のネタの合間に奇術を融合させた独特のマジカル落語を創案し、1983年にマジカルたけしに改名。ただし酒豪で酒癖が悪く、酔ったまま舞台に上がりマジックを失敗した事もある。
兄の枝雀より先に亡くなったため、枝雀が死への恐怖を募らせ、鬱病再発の引き金になったと言われている。